★新品の商品です。
たいへん希少の商品なのです。
問屋さんより直送の場合がございます。
※京都の笹田有祥師は、数ある名物茶入れを忠実に再現し、仕服もその茶入れに添っていた物を再現しています。
※付藻茄子は九十九髪からの当て字といわれていますが、亀に付く藻…つまり亀の緑毛を表すおめでたい名と伝えられます。
※この茶入には桐緞子裂仕服が添えられています。裂地は正絹で柔らかく、中綿入りです。篝糸も滑りが良いです。
※コレクターの方も探されている逸品です。
茶会 お茶事にと、何かの取り合わせにお使いください。
作 笹田有祥
高さ 8.2cm 胴径 7cm 口径2.7cm 重さ85g
正法寺緞子裂仕服(正絹)付 経歴書付 共箱付
付藻茄子
九十九髪茄子(つくもなす)は、室町幕府の三代将軍足利義満が所有した唐物茶入。
その後、戦国時代の武将松永久秀に渡り、現在は東京の静嘉堂文庫美術館に保存されている。
松永茄子、九十九髪、九十九茄子、作物茄子、付藻茄子などとも呼ばれている。
また天下三茄子の一つに入り、その中でも最も高い評価を得ている。
九十九髪茄子は、足利義満の唐物茶入であり、義満は戦場に行くときも携えていたと言われる。
その後、代々足利将軍家に伝わって愛用された。
8代将軍の足利義政の時、寵臣の山名政豊に与えられたが、15世紀末になって義政の茶道の師である村田珠光の手に渡る。このとき珠光が99貫で買ったことから、「つくも」という名前になった。
朝倉宗滴が入手したときは500貫の値がついている。朝倉はその後京都の豪商の袋屋に預けたが、これは越前の戦乱を避けるためという説と、仕覆を作らせるためという説の2つがある。
ところが天文5年3月、京都で天文法華の乱が起こり、日蓮宗寺院二十一本山は壊滅してしまう。
天文16年頃、やっと法華宗徒が京都へ出入りできるようになったが、その時にはすでに本圀寺の有力壇越の松永久秀の手に渡っていた。
詳しい経路は不明だが、1千貫を費やして買ったとされる。
松永久秀が所持した頃は、当時の茶人の垂涎の的となっていた。ルイス・フロイスの記録にも登場している。
だが、足利義昭を擁して来た織田信長に要求されるとなす術もなく九十九髪茄子を献上し、久秀は信長の配下になった。
九十九髪茄子は信長のお気に入りにもなり、天正10年5月に供を連れて上洛した時も携えている。
本能寺の変のときも信長の側にあり、この時に灰燼に帰したという説がある。
この後、九十九髪茄子は大坂城に置かれた。
大坂夏の陣では再び戦火にさらされ、徳川家康の命令によって焼け跡から探し出されたが、かなり破損していたため藤重藤元・藤厳という漆塗りの名工父子に修理のため預けられ、そのまま東照大権現拝領の家宝として藤重家が伝えた。
明治になって三菱財閥、岩崎弥之助の所有となった。この時、弥之助は兄から借金をしてまで買ったという。
現在は東京の静嘉堂文庫美術館で保管されている。釉と見られる景色等の表面を覆う部分はほぼ漆による修復であると、X線調査で判明している。
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