★商品状態について★
昭和10年3月末に與兵衛師よりお求めになられたとのことで、覚え書きがあります。
今から90年以上前の作品ですので、やはりところどころ経年を感じる部分はありますが、90年という時を経たと考えると希少と思えるほど綺麗な状態です。
内側の傷みもあまりなく、お湯を沸かして確認しましたが、美味しいお湯が沸きました。
まだまだ十分長く使っていただけるお釜です。
少し経年を感じる部分はありますが、釜というものは朽ちてゆく美を楽しむものでもあります。
味としてお楽しみください。
代々続く名門、千家十職 大西清右衛門の二代、大西浄清作の小鼓釜を写した作品です。
とても面白い、変わった形をしたお釜です。
上から見ると鼓のような形をしており、側面のくぼんだ部分には青海波がなされています。
大西浄清は大西家随一の名手といわれ、古田織部に随い次男の定林と共に江戸に下り、以後京都と江戸を往復し、明暦二年(1656)幕府御用釜師となったといいます。
このお釜の写しものは初めて見ました。
昭和10年は、二代與兵衛師が33歳頃です。
当時43円だったと覚え書きに書かれています。
(参の次の「赤」のように見える漢字は、「圓」の異体字です。)
当時の大卒の初任給は90円ほどだったらしいので、当時の貨幣価値としても高価なものでした。
このお釜に誂えた捻鐶の掻立鐶もきちんとついております。
珍しく面白いお品ですので、気に入った方、ぜひどうぞ!
共箱、釜鐶、覚え書き付きでの販売です。
★寸法★
高さ(蓋摘み含む) 18.8cm
高さ(口まで) 16.7cm
径 25.5cm
口径 12cm
●二代 角谷与斎
明治35年生
初代角谷巳之助の長男として大阪市に生まれ、父に師事する。
裏千家出入り職方で、淡々斎より与斎の名を頂く。
人間国宝の角谷一圭と、釜師の角谷莎村は弟。
長男が三代角谷与斎を昭和45年に襲名。